今日のおにぎりの具

オタクの雑記 作品の感想や考察をだらだらと

プロセカ ニーゴメインストについての感想①

・ネタバレ前提です。未読の方はご注意ください。

・読みやすいような配慮は一切しておりません。オタクが感じたままに書いています。

・作中のセリフなどは不正確な部分が多々あると思われます。

・カードストーリーのネタバレも含まれています。ご注意ください。

 

 

ソーシャルゲームコンテンツ 【プロジェクトセカイ】の『25時、ナイトコードで。』


「プロジェクトセカイ」25時、ナイトコードで。 ユニットPV

 

メインストーリー20話を読み終えた・・・。

 

読み終えたんだけど、本当の「救済」はまだまだこれから!というミライへの期待と不安と、彼女たちの千切れそうだけど確かな絆が見える余韻がとても良いストーリー。

解決して丸く収まったようにみえて、何も解決してないし、無理やり丸にしていたものがしっかりとした点になった感じ?

 

奏、まふゆ、絵名、瑞希

 

4人は最近までお互いの本名も何も知らなくて、1+1+1+1でうまいことやっているグループ・・・に見えて、実はお互いを追いかけあっている1→1→1→1のグループかなと感じた。

すごく抽象的だけど、ぼんやりとした虚像のような後ろ姿しか見えないから、それを必死に追いかけて強引な円を描いてる感じった。

だからこそ、誰か一人が欠けるとか、何かマイナスなことが起こってしまうと薄氷のように脆いその絆は一瞬で霧となって散ってしまう。

 

その引き金を引いたのが、まふゆだった、というだけの話

 

「だけ」というと言葉悪く見えますが、

まふゆがセカイで言った「みんな消えたいと思ってる」はまさにその通りで、まふゆが意図して引き金を引かなくても、いつか誰かが引き金を引いてこのグループは一度崩壊したんだろうな・・・と。

まふゆのこの言葉は奏のカードストーリーで奏が言った「ニーゴはみんなどこか似ている」という話にも基づいていると思う。

この決壊は必然で、必要なことだった。

だから「出来過ぎ」とか「都合が良い」と思われそうなのもすごくよくわかります。(実際ストーリーの流れは結構できすぎな部分もあった印象)

ただそれ以上に、クリエイターの苦悩とか葛藤とか、そういう尖った感情をキャラクターという個体に押し込めるのが上手すぎて感動が止まらない。

 

『25時、ナイトコードで。』自体は、全年齢向けのエンタメコンテンツとしてはかなり尖った分類のグループだったなと感じていますが、愛が止まらなくなった。

まふゆが自分の気持ちへの折り合いの付け方と、最終20話を読んで

ニーゴを愛した。

 

・朝比奈まゆふの話

まふゆの本当の想いが「自分を見つけたい」ではなく「自分を見つけてもらいたい」だったというところが非常に10代らしさと、根っからのクリエイターとしての本質が見えてしまって、共感と尊敬が同時に湧いて出た。

まふゆが本当にまふゆの両親の理想とする完璧な優等生だったのなら、そもそもニーゴに所属してないし、歌詞も曲も作っていない。

奏(K)の作る曲に惹かれて彼女と共に曲を作ると決めた時点で、やっぱり根っこはクリエイターの素質があったんだろうなと。

奏に出会えてよかったよ、本当に。

ただ、やりたいことが決まっても満足感をどう得るかという問題はまた別なわけで。

 

クリエイターとしては自分の作品を誰かに見つけてもらいたい・見られたいと思うのは当然の話で、誰にも見られず、世間に埋もれて沈むだけの作品にはやっぱりなりたくないなって思うんですよね。

私も物書きの端くれなので、その気持ちはすごく共感できる。

キャラプロフィールの立ち絵が目から光を奪われているなど、初見から闇の深さにじみ出ていて不安を煽られる朝比奈まふゆですが、、、

クリエイターとしての一つの感情の形をそのままキャラクターにしたような、そんな子だったなという印象に落ち着きました。

私はまふゆが怖いし、でも共感する。

この恐怖って、共感からくる痛みなんですよね。心地よくはないし、彼女の今後を考えると苦しいけど、ニーゴの面々がいるからきっと大丈夫。

どんな「自分」も肯定してくれる居場所=ニーゴのセカイなので、まふゆの今後の変化が一番楽しみ。

 

しかしびっくらこいたのが、恐らく時系列的にメインスト後の体育祭イベ

まさかのえむちゃんと二人三脚ゥ・・・!!?

 

「大丈夫か・・・?」という不安しかなかったですが、まぁ、大丈夫じゃなかった。

学校での、みんなの頼れる優等生・朝比奈まふゆの描写はメインストでも描かれていましたが、まぁそこはスト後でも変わらないんだなと少々安心。

ただ、えむちゃんが唯一彼女の虚像を見破っているところにドキドキした!

「笑ってるのに笑ってない先輩」「いまのは本当の笑顔」など、まふゆの中身を見てくれているえむちゃんの存在。

めちゃくちゃデカくない?

ニーゴは終始かなり閉塞的な世界観で描かれているユニットだったので、こうして別ユニット(外の世界)との繋がりが見えるのはすごく面白いし、何よりまふゆにとっては心の換気になる気がして・・・

えむ〜〜〜!! まふゆ先輩と仲良くなってくれねぇか・・・!?(多分無理)

えむとのエリア会話は面白かったけどまふゆの声色が怖すぎて泣くかと思った。

  

・宵崎奏の話

上記のまふゆと対になるのが、宵崎奏。

彼女はまふゆとは違った天才キャラ

「優秀」の張り紙を自ら貼り付けて周りと戦っているまふゆとは違って、自分の納得いく形を目指して常に自分と戦っている、根っからの孤独な天才気質。

まふゆが黒髪で、奏が銀髪なキャラデザも露骨に"対"感あって好きです。

奏は自分の才能のせいで父親を不幸にさせたトラウマを持っているのに、自分の才能を手放そうとはしなかったんですよね。

ここの心理が私のなかで結構で。 

初っ端のモノローグ的に、誰にも心を開かないタイプの女の子かな?

と思っていたのに、奏という女の子は本当に健気で素直で、生活力は皆無だけど感受性豊かな良い子なんですよね・・・。

よくトラウマがあるのに性格がねじ曲がらずにこんな良い子のまま育ったなと思う。

最後、お父さんに名前を呼んでもらえて喜ぶ姿にBBAは泣いた。

父が目を覚ます、までいかなくて良かったなと思います。本当にそこまでいくとお涙ちょうだいすぎて逆に冷めてしまった可能性があったので、個人的にはこのくらいの余韻で十分泣きました。

 

奏を突き動かしてるのは「誰かを救える音楽」を作りたいという表現欲ですが、

奏が曲を作るのって過去のトラウマのことを考えれば一種の自傷行為だし、曲を作ることで一番ダメージを負うのも作った奏自身だと思うんですよ。

その絶対に答えが出ない答えを探し続けて曲を作り続けているところ、実はニーゴのなかで一番メンタルの基盤が強いのでは? と。

まふゆを救うことを諦めていないし、引きこもりではあるけど奏は常に上を目指していて芯がめちゃくちゃ強い。

彼女もクリエイターとしての一つの感情個体だな、と思います。

どんなに厳しい状況でも、身体が弱っても作り続けたいと思っちゃうし、作らずにいられない創作の楽しさとか没頭感。

いや、わかるよ・・・。

「私の書く文章はクソ!! 私だけが楽しい私だけの自慰だ!! もう二度と書かねえ!!」

と思っても、結局作り続けちゃう・・・。

結果が出なければ悔しいし、書く過程は楽しいことより辛いことの方が多かったりする。それでも書かずにいられないんですよね。

もはや一種の病気。取り憑かれている。でも楽しいし達成感がある。

 

だからこその『悔やむと書いてミライ』

このタイトル回収は刺さった・・・。

 


「プロジェクトセカイ」3DMV『悔やむと書いてミライ』一部公開!

 

負の感情って一番人を成長させる。

やむってことは、自分にまだ伸びしろがあるってことなので(ハイパーポシティブ解釈)

奏にはそういう作らずにいられないクリエイターの病気みたいなものが詰まってるんですよね。

あんまり共感できないなって人もいると思う(私も最初はよくわからん子だなと思っていた)けど、キャラクターとしての愛らしさとか、可愛さとかはニーゴのなかでピカイチだから見ててもストレスがないし、応援しちゃう。

 

ところで、マリオネットイベの衣装が最高でした!!

星4奏、めちゃくちゃ可愛い。

星4まふゆは来てくれません。(いつか来て)

万年ジャージの奏がいつか瑞希と絵名に着せ替え人形にされて可愛い私服の立ち絵になる日を待ってます。

 

まふゆも奏も、ニーゴにいることで”人間”の枠組みを保ってる気がする。

ニーゴのセカイは肯定、なんですよね。決してあのセカイが救いではないところが私は好き。救いはあくまで現実で求めて探さなければならない・・・。

 

まふゆ×奏は天才×天才の組み合わせなんですけど、絵名と瑞希凡人秀才×奇人秀才の組み合わせでこっちも最高なんだよってことを語り尽くしたい。

絵名と瑞希については次記事に分割します。